水景の雑記帳

雑談多めの「深く考えない脊髄反射的な」ブログ。ほどよい息抜きに。

「書いて良いよ!」とお許しが出たので、書きます!!

 

 ちょっと前に記事で紹介したこの方。

 宇宙人とカメレオン。様。

 

 この方の記事でず〜〜〜〜っと、紹介したかったものがありまして。

 それで、先日、「記事で使っても良いですか?」とお聞きしたら、

 快く「良いよ!」と言ってくれたので、ついに書く決心ができました。

 ↪︎ ホント、良い人です。好きぃ♡

 

 

 

 その記事とは、こちら。

uchujin-and-chameleon.hatenablog.com

 

 この記事は、

 私が今よりも不安定だった時に、たまたまGoogle検索で引っかかった記事で

 この方たちとの出会いの記事で、私としては思い出深い記事です。

 

 

 メンタルが不安定になった時に、

 誰でもいいから、優しい言葉をかけてほしいと思ってしまい、

 ネットでいろんな人のブログや日記、ツイートなどを見ていたのですが、

 この記事にたどりついた時に「これだ!!」と一発でピ〜ンときました。

 

 鬱になって、仕事も休んで、結局、毎日何やってんだろ・・・

 

 そんなことを悶々と考えていると、

 自分の存在価値とか、今の自分には価値がないとか

 ネガティブな方向に勝手に思考回路が構築されてしまい、

 はぁ、とため息ばかりついてた時でした。

 

 以下、一部引用(引用の都合上、私が改変した部分もありますが)

 「生まれてからこの方、学校のテストとかお金とか、そういう「数字」で

  測れるものの中で生きていると、価値が高いとか低いとかそういう視点で

  物を見がちだけれど、本来的に「価値」とは誰かが決めてるだけ」

 「もしも、「自分に価値なんかない」と思っているなら、

  それは、自分に足りないものを見つめ、自分にはまだ伸び代があることを

  自分自身で発見したということであり、向上心がある人とも言える」

 

 

 言われてみれば、確かにそうかもしれないと思えるような言葉です。

 学歴だって、資格だって、年収だって、ツラの良さだって、

 他人から「すごいね」とか「立派だね」と言われることに

 「価値」はあるのかもしれないけれど、でも、所詮は「人の評価」に過ぎない。

 

 例えば、「価値ある人」に嫉妬した人に「大したことない」と言われたとして、

 それで、その人の「価値」って決まっちゃうものですか?

 

 きっと違います。

 「大したことない」とか「全然すごくない」とか言われても

 「すごいね」とか言ってくれる人だっているかもしれない。

 たまたま、「すごくないね」とマイナス評価した人の言葉を先に耳にしただけで、

 それだけで自分の「価値」に傷がつくかと言えば、そうではない。

 

 それに、「自分に価値なんかない」と卑屈に言ってるつもりでも、

 自分の心の中は本当にそう思っているのか?これも、多分、違います。

 謙遜で言ってるにしろ、本当に自分に自信がないにしろ、

 心の底から「自分に価値なんかない」と思ってるわけではないと思うんです。

 

 本当は、「これで本当に良いのか?」「自分はこんなものなのか?」と

 現状への不満でいっぱいになっていて、自分の目的を見失ってるだけではないか。

 その自分への疑いは、あくまでも「今の自分」への疑いであって、

 それだけで「未来の自分」をも否定する根拠になるわけがないんですよね。

 

 もし、現状に満足できずに「価値なんかない」と思ってるなら、

 その「足りないもの」を手に入れられれば状況は変わるかもしれない。

 きっと、本心ではいつもその「足りないもの」のことを考えているはずで、

 この先、自分がどうしたいか、あるいはどうしたくないかという答えは、

 常に自分の中にあるはず。

 

 この記事を読んだ時に、私はそう感じました。

 中には、

 「そんなのは甘えだ」「自分の人生の本番はこれからだと先延ばしにしてる」

 なんてカイジ利根川が言いそうなことを思う人もいるかもしれません。

 

 でも、私は、「だったら、どうした?」と言い返しますね。

 実際、このブログを始める一歩を踏み出したことで、私の生活は

 ほんのちょっとかもしれませんが、変わりました。

 あの頃抱いていた悶々とした気持ちは、どっかに行っちゃいました。

 

 ブログを通して、いろんな人と出会えたし、

 「この人、本当にすげーな」とか「なんで、そんなこと思いつくの?」とか

 そういう驚きや刺激を与えてくれる人も少なくありません。

 

 きっと、「足りないもの」はわかっていても

 それを手に入れるための「たった一歩を踏み出す勇気」さえあれば、

 価値なんかないとあんなに強情に言っていた自分の人生も

 今までとは違う形・色・姿に変化するかもしれません。

 

 そんなほんのちょっとの勇気を分けてもらえた記事。

 

 

 それから、こちら

uchujin-and-chameleon.hatenablog.com

 

 療養中でいわゆる「病んでる」状態になるとけっこう思うのが、

 「なんで、こうなっちゃったの?」「選ぶ道間違えたなぁ」という後悔。

 

 それでなくても、学生の頃の憧れだった研究者にも作家にもなれずに

 なんやかんや無難な安パイな道に甘んじてしまったという後悔も振り切れてない。

 

 本当に自分が望む未来ってどんなんだったっけ?

 少なくとも、今のような姿ではなかったはず。

 

 人生、誰しも「こうなればいいな」と思う理想と

 「こうならざるを得なかった」という現実の間のギャップに苦しむ時があるはず。

 

 そういう時に抱く感情の多くは、後悔の念。

 でも、この記事を読んで、私の気持ちはすっかり変わりました。

 

 一部引用

 「選んだ道が正解だったとは限らない」

 「自分が選んだ道を正解にしてしまえばいいんだ」

 

 これは、奥様のさい様のお言葉です。

 こんな風に思える人って素敵じゃないですか。

 素敵な奥様と結婚なされたゆてぃ様が本当に羨ましい限りです。

 

 ちょっと、脱線しますが、

 私の理想の女性像の1つに

 「迷った時に決心するきっかけをくれる先生みたいな人」というのがありまして。

 さい様のこのお言葉は、まさに「悩める男を導いてくれる」

 そんな雰囲気を感じた私です。← いいなぁ、こういうお嫁さんが欲しい!!

 

 と、私の欲望はこのへんにして、

 

 「自分で選んだ道を正解にしてしまえばいい。」

 かっこよすぎて、もう何も言えないです。本当に。

 

 過去への後悔の気持ちを語る以上、

 過ぎ去った過去は変えられないという絶対不可侵の摂理が前提です。

 

 でも、そうかと言って、

 配られたカードで勝負するしかないという人の世の不条理さに妥協するでもなく

 過去は変わらないけれど、それでも未来を変えることはできると考えてみる。

 

 例えば、

 過去を変えずに「結果」を変えればいい。

 自分の気持ちに嘘をついてしまっても、嘘を本当にしてしまえばいい。

 選ぶべき道を間違えたなら、正しい道に戻ればいい。

 きっと、そういう意味なのでしょう。

 

 しかし、口で言うよりも多大な努力が必要となることは間違いないでしょう。

 でも、「こんなはずじゃなかった」なんてくよくよ後悔するよりも

 ずっと健全な生き方だと思います。

 

 数学みたいな考え方が近いでしょうか。

 数式を辿って、行き着いた答えが違ったとして、それで終わりですか?

 私なら、どこで間違えたのか検証し、正しい答えを導くまで諦めません。

 

 それに、本当に間違った道を行っているのなら、家族とか友人とか大切な人が

 「それは違うんじゃない?」と言ってくれるかもしれない。

 

 その時に、自分の心にどのように整理をつけるか。

 「いや、絶対に間違ってなんかいない」と強情になって、後から後悔するのか

 「待てよ、もしかしたら別のルートあるかも」と正解にできる道を探すか。

 

 例えば、私がこのブログを始めて、アンチばっかりだったとして、

 「ブログなんかやらなきゃよかった」と後悔するのか

 「アンチな人だけじゃなくて、良い人もいるかも」と信じるか

 あるいは「ブログは向いてないから、や〜めた」とブログを辞めるか。

 

 どんなルートを選んでも、結局、最後は自分自身が「それでいい」と

 思えるのなら、それが正解なのだろうし、納得いかないのなら、

 「それでいい」と思えるような他の道を探ればいい。

 

 そう思うと、案外、人生って取り返しつくんじゃないか?と思えます。

 

 別に、だからと言って、適当に生きればいいわけではないですが、

 悩んで苦しんで出した答えが正解でも不正解でも、

 それで人生が終わるわけがないんですよね。

 

 きっと、どんなに「やっちまった」「恥ずかしい」「死にたい」と思っても、

 本当に死なない限りは、明日はやってきます。

 やっちまった瞬間、明日が来ないなんてことはあり得ません。

 

 大事なのは、明日になってから、どうするかということ。

 やっちまったのなら、自分の行いを正すのもいいでしょうし、

 あえて「やっちゃった(*´ω`*)」と開き直るのも時にはいいでしょう。

 

 最後の最後に「これでいい」と自分で自分を納得させられさえすれば、

 人生の選択に不正解なんてないのかもしれない。

 

 それに、未来を見通して「正解」ばかりを引き当てることなんて無理でしょう。

 誰だって、「不正解」を引くことはあるだろうし、それが罪かと言えば、

 そんなこともないですし、「不正解」を引いた瞬間人生終了なんてことも

 さすがに理不尽だらけのこの世の中でも、そんなことはないでしょう。

 

 そう思うと、ちょっとだけ自分の選択に自信がつくというか、

 「まぁ、なんとかなるよ」といい意味で開き直ることができるのではないか。

 そう思わされた非常に勉強になった記事でした。

 

 

 こんな風に、「ほんのちょっとの勇気」をくれた

 宇宙人とカメレオン。様には、感謝ですね🎵

 

 今のところ、ブログを始めたことは私にとっては「正解」でした。

 こんなに素晴らしい人と出会えたし、他にも仲良くさせてもらっている

 先輩ブロガーさんたちとも知り合えたし、毎日が退屈ではなくなりました。

 

 この2記事を読んで、私の心に起こった変化は、

 「勇気さえあれば、どんなに劣勢な状況でもなんとかなる!!」

 「なんとかなるよ。絶対、大丈夫だよ!!」

 という以前の私なら、絶対に言わなかったであろう言葉。

 今では、毎日のように自分に言い聞かせています。

 まさに、完全無敵の最強呪文です。

 

 自分に自信のない方、落ち込んでる方、

 もし、いらしたら、この呪文を言ってみてください。

 疲れて弱った心に効くことは私が請け合います。