FP2級試験まであと1ヶ月半となりました。
7月から一切の知識ゼロで勉強し始めて
他の資格試験勉強とも掛け持ちでやってきました。
やるからには、絶対に合格はしたい。
過去問をやってると、そこそこ出題傾向に偏りがあることに気がつき、
試験に出るであろう範囲を中心に鍛えてます。
今更ながら、
FPの資格を狙っているのかというお話。
それは、リハビリになればいいなというのが1つの理由。
私は、英語をはじめ、外国語にはめっぽう強いという特技があるのですが、
この状態になってから、Toeicや英検を受けてみると、惨憺たる結果に。
病気になる前はできていたのに、どうしてできなくなったの??
これがものすっごいストレスになってしまい、
すっかり自信を失ってしまいました。
うつ病という病気になったから、能力がダウンしているんだ。
と言ってしまえば、簡単ですが、
実際、自分の気持ち的には決して納得はいかないです。
今までならToeic850点オーバーなんか余裕だったし、
英検1級にだって挑戦しようかなと思っていた矢先のことだったので、
語学能力をほぼ全て失ってしまったという事実はかなりきついです。
これ以上、語学にこだわっていれば
ただでさえメンタルがやばいのに、もっと自分を追い込むことになりなねない。
しかし、目線を変えれば、
知識があったことだからストレスを抱えるのであって、
もし、知識ゼロ、初めてやることだったらそんなストレスなんかないはず。
やったことがないのだから、できなくて当たり前。
だったら、できるようになるように鍛えればいいだけのこと。
そう思い、
文系出身であるにもかかわらず、
経済系や法律系の勉強からは逃げ続けてきた私が
FPや士業資格を狙うことで、ストレスゼロで新しい分野の知識を得ることは
良いリハビリになるだろうということでやってみることに。
このブログでも散々、「うつ病になったから」と言っている私ですが、
1つだけ良くなったことがあるのです。
それは、「やってみっか」という軽いノリで行動できるようになったこと。
うつ病を発症し、仕事も休職し、給料も出ない窮地に陥った私には
もはやこれ以上失うものなど何もないのです。
失うものを持たない者は、ここまで開き直れるのかと
自分でも不思議に思うくらいに新しいチャレンジへの恐れや不安はないです。
そして、もう1つの理由は、転職。
今の私の職業は、某Aショー幹部職員。
しかし、実際、この職に就いてみると、
本当にこの仕事に私の一生を預けられるのかという疑問が。
人間関係然り。この職業の存在意義然り。
まず、この職業の人間関係は、終わってます。
上司と部下とか先輩と後輩とか、そんな関係性などあってないようなもので、
基本的に、皆で結託して気に入らない奴を排除しようという空気。
私も休職前はけっこうやられましたね。
一応、私も上司という立場ではあるものの、
私をスルーしてさらに上の上司に勝手に話を通して
自分達に都合の良いようにしてしまい、
結局、許可した覚えのないことが私の知らない水面下で進行しており、
気がつけば、責任だけが負わされるということもありました。
毎晩、帰宅して酒を飲みながら「ふざけんな〜〜〜」と叫びまくってました。
この職業の存在意義に関しては、まぁ、おいておきましょうか。
結局、どの職業に就いても
納得いかないことはないわけがないのでしょうが、
納得いかないことがあったとしても、せめて自分でその責を負いたい。
例えば、私が開業して一国一城の主になれば
自分自信の責任の下で仕事はできる。
人を雇ったとしても、職場環境の整備も私の匙加減で創造できる。
そこで、何かトラブったとしても、私が責任を負う。ごく自然なこと。
可能な限り、不条理な可能性を消し去って、今の職場のような
覚えのないことにまで責任を取るという支離滅裂な状況は作らせない。
きっと、そんなことができるのかもしれない。という希望的観測。
こんなことを言うと、
甘い考えだ。そんなんじゃ、生きてはいけない。
そんなヤジも聞こえてきそうですが、「だから、どうした?」と言いたい。
人生=甘くない・不条理で当たり前
そんな等式に妥協して生きること自体が甘えだろう。
「人生=甘くない」という公式しか知らない公式暗記厨だろう。
私は、そう言いたい。
等式など、所詮はどうとでも操作し放題なんですよ。
数学でもそうじゃないですか。
問題を解くのに、最も都合の良いように等式を操作して
最終的には成り立ってさえいれば、それが正解になるように、
人生もそんなもんなんじゃないかなと。
ただ、「人生は一回きり」とかいう言葉で
刹那的な生き方をすることも私は是とはしません。
多くの人が言う「人生は一回きり(だから楽しもうぜ)」というのは、
ちょっとズレた考え方な気がするのです。
私が思うに、「人生は一回きり」という言葉は
将棋に待ったなどないように、人生にも待ったはないという意味ではないかなと。
待ったがないから、自分の選択には自分で責任を負う。
その結果、勝っても負けても、自分の選択の結果に過ぎない。
だからこそ、次の一手に策略を巡らせ、本気で向き合う必要がある。
これがこの言葉の真の意味だと思うのです。
そんな生き方を実現するための1つの手段として、
資格を取って自分で開業するという行き先も確保しておきたい。
こんな感じの理由で、FPや士業資格を狙っている私です。