やっと春季キャンプが終わり、
復帰予定までの残り1ヶ月は、ちょっと強度を下げた自主トレ期間に。
ブログを書くだけの余力もないくらいに疲れた...
が、昨日、ある嬉しい知らせが舞い込んでまいりました。
私が就職する前のこと。
博士後期課程進学のための受験に玉砕して、傷心だったある時。
小学生からお世話になっていた塾の先生からこんなお話がありまして。
「うちの塾、もうそろそろ店じまいしたいんだけど、そうすると
今抱えている生徒たちが行き場を失ってしまうから、何人かの生徒を
世話してやってほしい」
正直、この話を頂いた時は、断ろうかと思ってました。
就活しなきゃだし、受験に失敗して勉強はしばらく嫌になってたし。
でも、恩師の直々のご指名でのお願いとあらば断るわけにもいかず。
それに、先生は私に話すより先に生徒の親御さんに
「新しく教えてくれる先生を紹介します。
私の教え子なんですが、教え方も上手な自慢の子なので安心してください」
なんてことを言ってしまっていたらしく...
あぁ、初めから私に拒否権はなかったのね...
と思って初めた「水景の塾教室」。
結末から言えば、やって良かったです。
先生のところから私へやってきた生徒は3人。
でも、学校も学年もバラバラ。
当然、3人まとめて教えるなんてことはできるはずもなく、
1対1の家庭教師スタイルでの塾開業となりました。
私は就活をしながら、自作で学習プリントを作り、試験対策のネタを考え、
時には夜通しで採点やら、次の授業計画やらを練っていました。
めっちゃ大変でしたが、辛いとは思わなかったです。むしろ楽しかった!
そんな中、教える子たちの成績は急上昇。
初めは学年下位レベルの実力だったのが、たった1年でトップクラスに変貌。
あまりの変わりように、親御さんも学校の先生からも
「何があったんですか・・・?」と聞かれる始末。
それに、生徒や親御さんの口コミで噂が噂を呼び、
気づけば生徒数が15人くらいに。
でも、私は何も特別なことは一切していません。
戸塚ヨット的な超スパルタ教育でもなければ、
東進みたいな「今でしょ」と生徒を焚き付けることもしていません。
1つだけやったことといえば、ただ認めること。それだけ。
私の信条として、
教師としての立場にいる限り、生徒を褒めも叱りも絶対にしないと決めてました。
褒めたり叱ったりするのは、親でも学校の先生でもできること。
他の人間ができる仕事は、私は絶対にやらない。私だけができることをやる。
そう決めてました。それが、ただ認めるということ。
中学生や高校生のいわゆる思春期の子たちって、
意外と「純粋に認めてもらえる」だけでモチベーションが上がるんです。
テストの点数が良くなくても、逆に100点を取っても、
学校の成績以前に、その子自身のことを認めてあげる。
例えば、風邪で調子が出なかったとか、部活で勉強時間が取れなかったとか
正直、勉強はあまりしなかったけど、ヤマがどんぴしゃで当たったとか
そういう「言い訳」を単純に聞いてあげるだけ。
例えば、学校でいじめられたとか、親と喧嘩したとか、先生に怒られたとか
そういう「もやもや」をただ聞いてあげるだけ。
純粋な聞き役に徹する人間って、案外、学生の周りにいるようでいないんです。
どうしても、親とか学校の先生の目から見ると「評価」の2文字が頭にあるので
こどもの話を聞いて、それがプラスなのかマイナスなのかの勘定をしてしまう。
それは、当たり前のことではあるのですが、
こういう年頃のこどもが求めることって、そういうことじゃないんです。
褒めたり叱ったりしてしまうと、そういう振る舞いをしてしまう。
怒られないようにしよう。褒められることをしよう。
でも、それって、自分の感情に反することもあるよね?
じゃあ、その気持ちをぶつける相手って誰・・・?
その感情をぶつける相手役になっていたのが私というだけなんです。
そういう教育論で教えていたこどもたちは、
見事に第1志望の学校に進学し、巣立っていきました。
そんな中のある1人の子から、昨日、ラインが来まして。
大学進学が決まったという報告でした。
その子は、中学生の頃に教えていた子で、正直、不安要素たっぷりな子でした。
なんでも、そもそも学校に行けないタイプの子だったらしく、
親からも「たまに学校に行った時に、授業の内容がわかる程度で」という
注文をされるくらい、こう言っては失礼ですが「訳ありな子」だったんです。
まぁ、結果的には学校に普通に通えるようになり、
英語を中心に能力値が爆上がりして、学年順位2位になったすごい子なんですが。
その子も、もう大学生かぁ。と思いつつ、
おめでとうと電話で直接伝えました。
いやぁ、4年くらい経っているのに、そういう知らせをくれるのは嬉しいもの。
なんか、進学校に通えたのも大学まで合格できたのも先生のおかげです
なんて言ってましたけど、「それは、お前の努力の賜物だよ」と言いつつ、
そんな言葉が出るようになるだけ大人になったかと。しみじみ。
全国の学生さんたちも、今日辺りから卒業式シーズンでしょう。
卒業って、次のステージに進むということ。
進学にしろ、就職にしろ、不安はたくさんあるでしょう。
でも、よく考えてみてください。
今、卒業しようとしているその場所も、数年前までは
「どんなところかな?」「やっていけるだろうか?」なんて思っていたはず。
そして、今、卒業するとなってどう思いますか?
友達と離れるのが寂しい?
今まで普通に使ってた教室や校舎が急に恋しい?
担任の先生や校長の口うるさい長話がから解放されてせいせいする?
色々と思うところはあるでしょう。
でも、これだけは覚えていてください。
卒業=終わり ではなく、卒業=成長の証 だと。
成長と聞くと、得たもの、プラスになったものというイメージでしょうが、
反対に、成長するために捨てたもの、失ったものもあるはずです。
それは、成長する過程で必要なくなったものだったのか。
それとも、本当は捨てたくなかったけど、そうせざるを得なかったのか。
あるいは、知らず知らずのうちに忘れていってしまったものなのか。
いずれにしろ、成長とは、得るものもあれば失ったものもある。
その全ての過程を物語っているのが、卒業証書なのです。
これから、卒業式が終われば、だいたい1ヶ月くらいは
自由な時間を過ごせることでしょう。
今まで頑張ってきたご褒美だと思って、思いっきり自由に過ごしてください。
朝寝坊してもOKです。
夜更かししてゲームしてもOKです。
バイトに明け暮れてもOKです。
卒業旅行をエンジョイしてもOKです。
でも、卒業証書を眺めて、
この学校で自分が得たものと失ったもの、自分が成長したと言える部分について
少しでいいので、考える時間も取ってください。
それが、次のステージに進んだ時の目標になったり、へこたれた時の
心の支えになってくれたり、より人間性に磨きがかかったりするのです。
というわけで、卒業式あるあるな
校長の長話風に長い記事で書いてみましたが、
全国の学生諸君、卒業おめでとう!