昨日、中学生時代にお世話になった塾の話を書いていたら、
ついでに思い出した思い出話がありましたので、今回はそのお話です。
いきなり、物騒に聞こえるかもしれませんが、
私は「ぼうりょく」という言葉が大好きです。
多分、みなさんが想像する「暴力」ではなく、
防ぐ力と書く「防力」。まぁ、私が勝手に作った造語なんですけどね。
実は、私、
小学生から中学2年生まで、いわゆる「いじめられっ子」でした。
仲のいい友達も何人かはいましたが、
そうでもないクラスメイトからいじめられるっていうよくある話です。
実習授業などで組めば、ハブられるのは当たり前。
給食を食べる時に、机を向かい合わせるのも嫌で仕方なかったし、
修学旅行なんて行けば、それはまぁ調子乗ったガキどもの良い的だったし。
なんというか、絵に描いたような「いじめられっ子」ですね笑。
いじめられるようになったきっかけが何だったのかは、
私にはわかりませんが、まぁ、子供の論理なんて大したことないので、
別に私じゃなくたってよかったんでしょう。
「たまたま」「私だった」ってだけだったと思ってます。
小学生の頃は、特に人より優れたところもなかった私は、
いじめられても、やりかえそうとする気も起きませんでした。
一度は、我慢の限界が来て、
思いっきり👊でぶん殴ったこともありましたが、
いじめっ子って、そこは賢いのか、
「先生、こっちは殴ってません」とアピールしてくる。
まぁ、確かに、彼らが暴力でいじめることはなかったので、事実なんですよねw
だから、私がキレても、怒られるのは私だけ。なんとも理不尽やなぁ。
そんなことを思いながら、
小学校卒業も見えてきた頃、私には別の世界があることを知ったのです。
そう。中学以降は、ある意味「力」が物を言う世界だということを。
小学校と中学校の大きな違い。
それは、自分の価値に「数字」が付くこと。
学年順位、クラス順位、5段階評価など、目に見えて「優劣」が分かる世界。
その世界があることを知ったのは、昨日ちょっと書いた、例の塾。
5年生の頃から通い始めていて、正直、学校よりも塾にいた方が楽しかったので
けっこう入り浸ってました。
その塾は小学生〜中学生を対象に教えており、
幸い、私の小学校の学区外だったこともあって、他に通っていたのは
せいぜい私と仲の良かった友達くらいだったので、居心地が良かったです。
ただ、たまに会う中学生の先輩たちと話すのが好きでした。
自由な塾スタイルだったので、小学生と中学生が同じ部屋で勉強するなんて
珍しくもない環境。
今、思えば、あの先輩たちは面倒見がめちゃくちゃ良かったです。
かなり可愛がってもらいました。男の先輩も女の先輩も。
それで、中学校がどんな世界かを事細かに教えてくれたのです。
小学生時代の私は、
勉強も、スポーツも、手先の器用さも、何をやってもてんでダメなやつでした。
ただ、彼らの話を聞いていると、私の中で大きくなった感情は、
中学校への憧れとか希望とか、そんな明るいものではなく、
「このままじゃ、中学校もやばい」という焦りでした。
当然、中学校ともなれば、
近隣の小学校の連中も集まってより大きいコミュニティになる。
そこで、このまま「いじめられっ子」だったとしたら...?まぁ、先は見えるわ。
しかし、先輩たちは
「水景くんって、真面目だし、きっと中学校に入れば上位に行けるよ」と
よく言ってくれました。(いじめの件は、話してませんでしたが)
そして、中学校に入学してみると、
まぁ、私の予感通り、いじめの的になると地獄だったわけで。
ただ、その時は既に私の中ではある「計画」が水面化で進んでいたのです。
いじめられた経験が功を奏したと言っていいのか微妙ですが、
私はいじめる人間の心理をなんとなく感じ取ることができるようになりました。
(今では、人間の心を読めるニュータイプ能力に進化しました!)
学校の中でいじめる人間の心理とは、本当にちっぽけなもので、
純粋な悪意を持っていることは非常に稀で、
ほとんどは、今でいう「マウント取り」に過ぎないのです。
容姿、性格をはじめ、
「人よりも優れている」点があると思っていたいというつまらぬもの。
彼らがそういう心理で動いていることに気がついた私は、
いじめから抜け出すには、「圧倒的な力」で黙らせるのが最も効果的だと判断。
マウント取ろうとして、逆に自分が「下」だと思い知らされれば黙るしかない。
だったら、連中を黙らせるために日々、精進あるのみ。
その一心で、部活もやってはいましたが、ほとんどサボって塾に行き、
1日9時間は余裕で勉強漬けの日々を送り、
たまに腱鞘炎で手がオシャカになったり、ペンだこが破裂したりと
地を這い、血を流しながら「勉強だけは強みを作る」と決意していました。
そして、中学2年目。
数学100点、英語99点、学年順位4位とそれまでのベスト記録が出ました。
そうすると、周りは、まぁまぁ慌てふためくこと。
「え!?あの水景が!?」 「マジ!?」
小学生の頃からいじめていた連中はもちろん、
中学になってから、連中とつるんで悪がらみしてきた連中の間にも激震が走る。
そして、連中が慌てているその頃には、時既に遅し。
私は、「圧倒的な力」を既に得ており、さらに成績を伸ばしていったのです。
それからは、面白いように手のひらを返してきて、媚びてくること。
面倒な宿題とか出たら、「水景〜、やってくれん?頼むよ〜」と
泣きついてきたり、「次の試験勉強、教えてくれ〜」と頼られたり。
まぁ、いじめてた連中には
宿題を教えると言いつつ、嘘を教えてみたり、
「こっそり見ていいよ」と言って、わざと間違いを書いてカンニングを確認後に
正しい解答に訂正したりして、助けるふりをして地獄に叩き落としました。
決して褒められたやり方ではないとは分かっていたものの、
いじめの関係を早期に終わらせる最も簡単な方法は「力」だと確信した頃、
私をいじめようとする人間はいなくなり、
成績上位者ということで教師陣からの信用も勝ち取ったことで、
「いじめ」から「頼れる人間」に変わっていました。
しかし、それと同じ頃。
やはり、人間は誰かをいじめていないと生きていられんのかと思うくらい、
今度は別の人間がいじめの的になっていました。
それを見て、私は「はぁ」と呆れと憐れみが半々の感情の中に
「いつまで、そんな低次元なことやっとんねん」と怒りが湧いてきました。
そして、いじめの現場を押さえては
「何、晒しとるんじゃ〜〜〜」と割り込んで、
「君、この子、いじめてんの? ほな、さいなら」とボコボコに粛清してました。
周囲の信頼を得てから実行する行動というのは不思議なもので、
意外と、「理がある」と納得してくれるんですよ。
まぁ、学校なんて小さい世界だったからそんなもんですわな。
いじめられている子を助けたつもりは微塵もなく、
ただ、「いじめ」を根絶やしにしたかったから「粛清」をしただけ。
勉強と同時に、少々体つきも良くなってきて
拳1発で語り合うこともできるようになっていたのです。
まぁ、やってることは暴力も含まれているので、
たまに「やりすぎや...」と言われることもありましたが、
それで「いじめ」をこのコミュニティから消せるのなら、私はとことんやる。
そのために使う力は、暴れる力ではなく、防ぐ力なのだというのが
当時の私の信条でした。
その甲斐あってか、
3年生になった時には、もはやクラスからいじめはなくなり、
私が仕返した連中も、最後の1年は仲良く過ごせました。
ただ、高校に入ると、
「水景は普段は真面目で優しいけど、キレるとやばい」
なんて噂が流れており、高校のさらに難しい勉強に頭を抱えていた私は、
まさに「獣のような目」をしていたとか。
私は、決して頭の良い人間ではありません。
だから、人よりも頑張るしかないのです。
人が2倍努力するなら、私は200倍の努力を重ねるのみ。
それくらい、ポンコツな人間なのです。
しかし、私自身が信じる道を行くためには、
今でも「圧倒的な力」が必要なこともあるという考えは変わっていません。
↪︎まぁ、その考えのせいで「頑張りすぎて暴走する」諸刃の剣でもあるのですが。
そして、もし、私の持つ力が人を守るために使う時は、
暴れるためではなく、防ぐために使うべきだということも。
ただ、大人になってから変わったのは、
力を使う時に、ずる賢くなったことかな。
まぁ、拳で語り合うなんて、大人同士でやったらシャレにならないし...w
という、まぁ、なんともつまらぬ私の「防力論」でしたが、
「水景って、ただの脳筋野郎じゃね?」と感じた方、大正解でございます♪
脳筋タイプになった原点、ここにありというお話でした。
今でも、初対面の人とかには
クールで頭の良さそうな人とか言ってくれることもありますが、
私の生き方はけっこう泥臭いんですよ。