水景の雑記帳

雑談多めの「深く考えない脊髄反射的な」ブログ。ほどよい息抜きに。

私の頭の中はゴミ屋敷・・・!?

 

 うつ病の診断を受けて以来、ずっと医者から言われていること。

 「頭の中を空っぽにすること」。

 

 これが、私にはできないのです。

 

 散歩をしても、

 お風呂に入っても、

 ゲームをしても、

 運動をしても、

 ほっとアイマスクをしても、

 マッサージをしても、

 リラックスBGMを聴いても、

 

 およそ考えつく限りの「リラックス法」「頭の中を空っぽにする努力」を

 してきました。

 しかし、どうしても、頭の中が空にはならないのです。

 

 どういうことか?

 

 私の感じる感覚にすぎませんが、

 「私」という1人の人間の中に何人もの違う人間がいるような感覚。

 

 1つの局面に対して、少なくとも10通りの可能性が思い浮かび、

 脳内で様々な意見を持つ「私」同士での討議会が常に開かれている状態。

 

 ある考えをする「私」に対して、批評的な目で見る別の「私」がいて、

 正反対の考えを持つ「私」がいて、折衷案を持つ「私」がいて、

 「結局どうするの?」と困惑する「私」がいて、・・・

 

 こんな感じで、感覚的には30人くらいの「別の私」を脳内に飼っています。

 

 これを前向きに捉えるなら、器用で多角的な視点を持っていると言えそうですが、

 実際は、そんなことはありません。

 

 「私」という1人の人間のあらゆる側面がバラけてしまって

 もはや1人の人格を保つことすらできなくなっているような感覚。

 

 つまり、どれだけ考えても、結論が出ない。生産性がない。

 

 本来なら、思考とは、地中に深く穴を掘っていくような作業で、

 深掘りする、深化することによって、より進んだ思考が成り立つもの。

 

 しかし、今の私の思考は、例えて言うなら、山手線。

 始まりがなければ、終わりもない。ただ、延々と同じ輪の中で彷徨うだけ。

 一度、乗ったが最後、終着駅のない電車に揺られるだけ。

 

 堂々巡りという言葉が一番わかりやすいかもしれません。

 とにかく、頭の中がごちゃごちゃして常にやかましいのです。

 

 人間は1日に何万回もの思考と選択をしているそうですが、

 私が思うに、そのうちの8割は「考えなくとも良いこと」だと思っています。

 

 将棋棋士のように、自分の1つ1つの選択が将棋というゲームの勝敗に

 つながってしまうようなシビアな日常を送っている人はそうはいないでしょう。

 

 私もそこまでシビアな生活を送っているわけではありませんが、

 それでも頭の中が空にならない、可能性は浮かんでも考えがまとまらない

 というのは、普通の人よりも「考えなくとも良いこと」を多く抱えているはず。

 

 「別に考えなくとも良い」=「考える価値がない」と捉えるのなら、

 空にすべきところを空にできない私の脳内のその様は、まるでゴミ屋敷。

 ゴミだらけの脳内でまともな思考などできるはずもありません。

 

 これは、果たして、

 うつ病の症状の1つなのか、

 本当に人格が分裂でも起こしたのか、

 あるいは、様々な視点から物事を見てはいるものの決断できないだけか。

 

 その原因はよくわかりませんが、

 だいたい、こういう思考のループに入った時は不眠になることはわかっています。

 おそらく、今日の私は、薬をもってしても、眠れない長い夜になりそうです。