水景の雑記帳

雑談多めの「深く考えない脊髄反射的な」ブログ。ほどよい息抜きに。

友情って何でしょうね

 

 昨日、とある方のブログを見ていたら、「友達関係」にちょっと悩んで

おられるのかなという記事を見つけたので、私なりの友情観について思うことを

書いてみます。

 

 

 いきなり、つかぬ事をお聞きしますが「友達は何人いますか?」

 私は、1人だけです。

 え?寂しいって?そんなこと全くありませんよ。

 

 

 

 私は学生時代、友達はほぼゼロでした。人付き合いが苦手だし、クラスメイトが

流行りの芸能人とか歌手とかドラマとかの話題で盛り上がっていてもついていけず。

それに、私はスポーツが大の苦手だったので、せめて勉強くらいはちゃんとしないと

本当にやばいという危機感があったので、授業合間の休み時間やお昼休みでも自習。

そのせいで、周りには「絶対不可侵領域」並みの鉄壁の防衛線を引いていました。

 でも、意外と孤独感は感じなかったです。「もっと仲良くしたいな〜」とは

思っても、友達がいないことにコンプレックスを感じることもなく、ただ、

青春の1ページを彩ってくれるであろう「友達」というカラーが1色ないだけ。

それくらいにしか感じませんでした。

 そして、周りをよく観察すると、単に「仲がいい」だけでは友達関係って脆い

ということを知りました。クラス替えとか進学とか、ちょっと環境が変わっただけで

関係が切れてしまう。そんな人をいっぱい見てきました。本当に「仲のよさ」が

友情なのだろうか?そんな風にちょっと斜に構えた考えをしていた学生時代。

 しかし、大学に進学してとある文献を読んで「友情革命」とも言える出来事が。

その文献は、古代ギリシャ哲学の文献で、私が当時専攻していた分野でした。

そこにあったのは「100人の愚かなる友は、賢者たるたった1人の友に敵わない」

という古い諺。何を「愚か」として何を「賢者」とするのかはここでは捨て置いて、

この言葉にこそ「真の友情とは何か」という真髄を見たような気がしました。

 「友達100人できるかな?」なんて歌がありますが、友達とは数ではなく、

その本質は「友情」と呼べる心があるかどうか。

 「友への情」と書いて「友情」。この「情」というのは「心」とも言い換えられ、

特に「特別に想う心」を指します。「恋情」とか「愛情」とかがイメージしやすい

ですね。

 「友を想う心」それが友情。単に「仲が良い」だけでなんとなくできたクラスの

グループとか「あいつとは仲良くしておいた方がいい」なんて損得勘定で築く関係に

果たしてこの友情はあるのか?おそらく、ない場合が多いだろうなと思います。

だから、ちょっと環境が変わっただけで簡単に関係が終わる。

 

 私が唯一「友」と呼ぶ人間はたった1人だけです。そいつのためなら、何だって

できる。辛い目に遭っていたら、その辛さを分かち合ってやる。泣いていたら、

一緒に泣いてやる。嬉しいことがあったなら、一緒に喜んでやる。そして、

ありがたいことに、そいつも私を「友」と呼び、同じように私が苦しい時には

助けてくれたし、嬉しいことがあったら「よかったね」と素直に喜んでくれる。

 そんな「友を想い、友に想われること」が友情の真の意味であって、決して

数で決まりはしないというのが、私の友情観。